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幽霊について

そういえば、このブログのタイトル『記号の中の幽霊』の「幽霊」のことを何も書いていなかった。なぜ幽霊なのか。幽霊とは何か。解説のため、むかし書いたエッセイを引用しておこう。

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馬の卵


卵が先か鶏が先かというアポリアがある。
これは生物学ではなく言葉の定義の問題である。鶏の卵とは何か。
鶏が産んだ卵のことを指すのならば、鶏が先でなければならない。
鶏が生れる卵のことを指すのならば、卵が先でなければならない。

加藤さんが街で志村さんを見かけ声をかけたら別人だった。
別人と気づくまでのあいだ、加藤さんは誰を見ていたのか。
その場に存在しないものでも、条件さえ揃えば見えることがある。
これをおばけを見ると言う。

ここに、鼻先にニンジンを糸でぶら下げられた馬がいるとしよう。
追いつけばあれを食えると思って馬が走るのであれば、かの馬は、
ニンジンを見てるつもりでニンジンのおばけを見ているのである。

はじめの卵と鶏の話では、鶏の卵のおばけが暗躍していたわけだ。
たぶん、あんなのをお祓いと言うのだろうと思う。

見えるもの必ずしも存在しない。
しかし、見えるものは僕を怖がらせたり、僕を駆り立てたりする。
もしかすると、存在しないものの方が影響力が大きいこともある。

飛んで火に入る夏の虫は、一体何を見ているのだろうか。

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という訳で、私は疑似問題のことを幽霊と呼ぼうとしていた。たとえば、自由意志と決定論の哲学的アポリアも、疑似問題であり、それは言語に対する誤解に由来する。そんな風に私は考えている。

ちなみに、卵と鶏のくだりは、私独自の解釈ではなく、誰かの受け売りである(養老孟司だと記憶しているのだが、調べても見つからなかった)。それを「おばけ」と表現したのは私の独創かもしれないけれど。

ところで、幽霊については、私の中で、ふたつのエッセイが鳴り響いている。安部公房と小林秀雄だ。

安部公房は「枯れ尾花の時代」というエッセイで「幽霊の正体見たり枯れ尾花」は誤りで、枯れ尾花は幽霊の正体ではないと指摘した。うろ覚えだが、樹氷が幽霊だとすれば「枯れ尾花は樹氷の芯にすぎない」。幽霊の正体は「歴史や文化…が絡まりあったもっと複雑なもの」というのが安部の主張である。これは、幽霊に対する私の考え方の基礎を成している。

小林秀雄は『考えるヒント』シリーズのどれかに、幽霊についての話があった。幽霊はいるかいないかの討論に、幽霊は存在すると主張する婦人が登場する。戦死した主人が夢枕に立った。だから、幽霊はいると。ある歯科医がこれを反駁する。夫が戦死して夢枕に現れない例の方が多い。彼らはなぜ妻のもとへ現れないのか。ここで、小林秀雄は、歯科医の態度を非難する。主人が夢枕に立ったことは、夫人にとって重大な、深い意味のあることだ。それを他人が無責任に批判するのは、科学の名を借りた暴力だと。

どちらも読み返さずに書いたので一部創作になっているかもしれないが、大方そのような方向の話だったと私は記憶している。正しいのは安部公房だが、小林秀雄にも一理ある。そして、人文の科学を立てようと考えるとき、幽霊に対する態度決定は、非常に重要な試金石となる。そんな風に私には感じられるのだ。

記号の中に幽霊はいる。それを暴くことが誰かを傷つけるかもしれない。でも、いつまでも旦那の幽霊にとらわれていては、時計は止まったままではないだろうか。幽霊の正体は、いちど、きちんと明らかにする必要がある。

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