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購書メモ・読書メモ 9

1 池谷裕二『単純な脳、複雑な「私」』
2 茂木健一郎/田谷文彦『脳とコンピュータはどう違うか』
3 星野力『チューリングを受け継ぐ』
4 郡司ペギオ-幸夫『生きていることの科学』
5 黒川伊保子『恋するコンピュータ』
6 野村雅昭『落語の言語学』
7 織田正吉『ジョークとトリック』

いろいろ買ったり読んだりした。引っ越して通販を使わなくなったので、逆に整理が面倒臭い。ここに挙げたのは、さいきん買った本の一部である。

1は、とりあえず売れているので。ひと通り読んだ。脳が「私」を誤解しているのか「私」が脳を誤解しているのか。最新トピックも豊富でなかなか面白かった。ダーウィン的な生物観に着地するところにだけ、私としては違和感がある。コホーネンの自己組織化マップの紹介は有難かった。

2は、大嫌いな茂木本。だが、このタイトルで私が買わない訳にはいかない。読んでみたら、したたかだった。とくに計算機について、なかなか要領よくまとめてあって感心した。余計なお世話だが、紹介に徹すればよかったのにと思う。まとめがよくもわるくも茂木節で、もったいない。この本ではないが、茂木氏がいまの心の科学の状況を錬金術になぞらえて、錬心術と呼んでいたのは上手かった。なんだかんだ言いながら、所詮、同族憎悪のようなもの。私もまた同じ穴の狢なのであろう。

3の星野さんは、Web上で名前を見かけたことがあった。ちょうど非チューリングマシン(以下、非TM)について考えていたので、その参考に購入。小説風の付録を除いて読み終わった。有名な話だが、チューリングはTMの限界を示していた。そしてドイツ軍のエニグマ暗号を解くために、チューリングボンベと呼ばれる非TMを活用した。天才だなあと思う。計算機科学の、あるいは人工知能の歴史入門としてよくできている。チューリングテストに対する記述も秀逸で、私の理解も少し変わってしまった。が、後半、非TMが単なる神秘発生装置のようになってしまった気がする。「人間-TM=?」の核心がよく分からない。仮説だけでも提示して欲しかった。

4の郡司さんは、いちど見たら忘れられない。ときどき名前を見かけてはいたが、本を読むのはこれが初めて。ちょっと癖のある対話篇で、このノリは身に覚えがある。学生時代の友人同士の怪しい議論がパワーアップしたような本だ。まだはじめの方だが、マテリアルというのがキーワードであろう。「現実-モデル=マテリアル」とでも言えばよいのだろうか。割り切れないところを取り出して、割り切ろうという趣。それはそれで面白いけど、はてさて。ほんとうのところ(現実)は、どうなのだろう。複雑系ショックの延長上にある本と見ていいのかもしれない。

5は、野心に惹かれて。ともすれば智に働きがちな人工知能の話の中で、情に棹さすのは立派である。しかし、大山鳴動して鼠一匹という気がしないでもない。言葉の語感に対する分析が主な話題で、よく見てみたら、あの有名な『怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか』の著者であった。これこそ私が否定せんとする、旧レトリックの権化ではあるまいか。と、攻撃するのは野暮天であろう。聴覚刺激から発音体感への転換は、著者にとってコロンブスの卵だった。それでよいではないか。1の池谷本に登場する「ブーバ・キキ試験」の謎も、つまりはこのくらいの話なのだと思う。

6は、タイトル買い。あまり期待していないが、枝雀の四分類への言及があるところに感心した。暇なときに読もう。

7は、ぜんぜん期待していなかったのだが、読んでみてたまげた。著者は転換コレクターである(ほめ言葉のつもり)。もちろん、その分析については処世訓めいていて不満もあるのだが、これは博物学的な資料として素晴らしい。やっぱり私はこういう世界が好きなのだよなあと再認識した。


12:3における錯視の説明について

 3 星野力『チューリングを受け継ぐ』の中で、錯視についての記述が二箇所ある。p37「フィードフォワード型のニューラルネットは(中略)大脳皮質における複雑な構造、とくに錯視などの原因といわれている、高次の意識を司る領野から低次の視覚処理を行っている領野へのフィードバックなどを適切にモデル化しているとは思えない」。p83「脳の中にも、神経回路がフィードバック回路を形成していることは考えられる。高次機能と低次機能との間にもフィードバックがあり、高次の意識における思いこみのために低次の視覚において錯視がおこるというような干渉がある」。と、ほぼ同じ内容のことがかかれている。後者の方が強い主張である。

 この本の中で、錯視の問題はこれ以上の発展を見ていないが、私としては大いに気になる記述である。(1)錯視のメカニズムがこの説明のとおりだとすれば、これをチューリングマシンに乗せることは不可能か。(2)ここに描かれた錯視のメカニズムは本当だろうか。(3)錯視の機能は人間にとって重要か。私の予想としては、(1)YES、(2)NO、(3)YESなのだが、著者の星野氏はおそらく(1)YES、(2)YES、(3)NOと考えているのではないだろうか。

 まず(2)について、私は、惜しいけどちょっと違うのではないかという気がしている。気がしているくらいのことで、あとで撤回するかもしれないが、そうすると(1)がYESでもあまり意味がない。(1)がYESかどうかは、まずはニューラルネットが前提された話のようだから、よくよく考えないといけないのだが、(1)がYESでも(2)がNOならば、人間が非TMかどうかに無関係な話になる。また、人間が非TMであることを示せればいいかといえば、そうでもない。(3)の条件がなければ、これは単に難癖をつけているようなものだ。

 たとえば、人間そっくりのロボット、アトムの鼻毛が伸びなかったからと言って、アトムは人間ではないと主張していいだろうか。それは気の毒というものであろう。鼻毛が伸びるかどうかなんて、アトムにとって(人間にとって)、どうでもいい、非本質的なことではないか。しかし、アトムに錯視ができるかどうかは、(さしあたり私にとって)大きな問題なのである。

 さて、どうしたものか。(1)を精緻化して(1)'とし、(2)がNOでも、ある条件さえ満たせば成立するような形に(1)'を修正して(1)''として、(3)のYESをうまく示すこと。みたいなところだろうが、参ったなあ。

2009.09.07 01:18 みずすまし #LxEYYn16 URL[EDIT]

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