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言語と人間

人間が過小評価されているということと、言語観が問題だということと、これまでの記事では上手く繋がっていなかった気がする。おそらく言語観が変われば人間観が変わるのだが、さて言語は人間にとって何なのだろうか。

私の妹は障害があって言葉を喋ることができない。おそらく言葉を理解することもできていない。そのせいもあるのだろうか、私は主知主義的な人間観にずっと違和感があった。主知主義という言葉は一昨日知った。知情意(真善美の夫々に対応した能力)の内、知を第一に考える立場のようで、メルロ=ポンティなどは大いにこの主知主義を批判したらしい。メルロ=ポンティはゲシュタルトへの関心も深かったし、両義性とか言っている。どうも私の言いたいこととはニュアンスが違う気もするが、これから色々関係してきそうな人である。

言語分析と言ったとき、どうしてみんな論理学の真似事みたいなことしかやらないのだろうか。文法や品詞の分類も退屈で仕方がない。言語ってそんなものなのか。数学やプログラミング言語のような人工言語は、きっと自然言語とは大きく異なっている。自然言語による人工言語のエミュレートはできても、逆に、人工言語による自然言語のエミュレートはできないのではないかと思う。

コンピュータをモデルにして人間の認知過程を解明できると言えば、それは人間の過小評価である。逆に自然言語を神秘化するのは人間の過大評価であろう。だから、人間は機械だが、コンピュータではない。というのが私の主張である。いまのところ人類は、情報処理機械といえば、コンピュータくらいしか知らないので(私も知らないのだが)、これは仕方がないといえば仕方がない。

主知主義の人たちにとっては、言語は人間に欠かせないアイテムであろう。私が言語の問題を考えるのは、①主知主義を批判するため、②記号成立(⇔文字のゲシュタルト崩壊)の段階を無視すれば、アナログな視覚・聴覚より、デジタルな言語は扱いやすい(客観的に調べやすい)ため、という二点の理由による。

実はいま言葉がみつからないので、仮に主知主義という風に呼んでいるが、これはとりあえずの仮想敵に過ぎない。もっと敵の輪郭をクリアにして行きたい。あるいは、考察の過程で敵など消えてしまっても、明瞭に語るべきことを語れるようになりたい。


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