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2009年07月 の記事一覧

コネクショニズムとの関係について

人間とは何か。心理学における行動主義から、内面の探求に移行したのは、古典計算主義の功績である。この古典計算主義へのアンチとして、コネクショニズムを挙げることができる(他にもアフォーダンスとか色々流行があるが、とりあえずここでは気にしないことにする)。

用語として、ニューラルネットとコネクショニズムを区別していた方が考えやすい。ともに生物の神経回路網をモデル化した人工的なシステム(人工ニューラルネット、しばしば単にニューラルネットと呼ぶので紛らわしい。コンピュータ内に構築可能)に関連する研究だが、これを区別する場合には、次のように考える。すなわち、①ニューラルネットの研究目的は、人間の脳に負けない能力を持った人工の情報処理システムを作り上げること、であるのに対し、②コネクショニズムの研究目的は、この人工のシステムをモデルにして、人間がいかにものを考えているかを探求すること、にある。すなわち、コネクショニズムとは、ニューラルネットの基本原理こそが人間の行う情報処理の本質だ、という前提に立って人間の認知の仕組みを解明しようとする立場なのである。(ちなみにこの段、戸田山和久他編『心の科学と哲学』からのほぼ引用)

さて、このニューラルネットでは何ができるのか。たとえば、人間の顔の識別などがよく引き合いに出される。本当はもっと高度なことができるのだが、いくつかの写真を見せて学習させておくと、たとえば、かなりの精度で顔か顔でないかの識別、あるいは男女の識別などができる。ただ、神秘化は禁物である。このときニューラルネットが実際には何をしているのか。単に、顔画像の集合に重み付けを行って距離空間とし、その線形分割を行っているに過ぎないのである。顔画像からなる空間はふたつの領域に分割される。男女識別で言えば、男の顔の領域と、女の顔の領域である。それらの領域それぞれの重心は、ニューラルネットが学習した範囲での、典型的な男顔、女顔になる。男女識別に限らず、ニューラルネットによる分類には、このような、典型が生じる。これをプロトタイプと呼ぶ。

ここからが私の話なのだが、ニューラルネットに心霊写真を見せるとどうなるであろうか。あわよくば目、目、鼻、口、で、この写真のここに顔があると思ってくれるかもしれない。でも、それだけである。ははは、木の影が顔の形に見えただけさ。とか、ここで自殺した人の怨念が、写真の中に現れて何かを訴えているのだ、などとは思ってくれない。

ルビンの壺を考えてみてもいい。壺だと思っていた図形が、向き合ったふたりの横顔に変わる。同じ対象が、別のネットワークの中にシフトする。私の考えでは、この、反転、転換が、我々の認知活動に重要な位置を占めているのである。ニューラルネットでは、顔なら顔のゲシュタルトが作れる。しかし、それは別のゲシュタルトに転換する可能性のない、いわば死んだゲシュタルトである。その意味で、私の言いたいことは、単なるコネクショニズムではなく、コネクショニズム+α(転換の仕組み)である。……それでピノキオが人間になれるかどうか(充分条件かどうか)は、わからないけれど。

いま、画像の認知について説明したが、言語についても、この転換は働いている。たとえば、駄洒落ひとつとっても、この転換がなければ、そもそも駄洒落として認知できない。「布団がふっとんだ」の「ふっとん」は、「ふっとぶ」の撥音便であり、また「ふとん」という音の変形(コピー)でもある、というような話である。

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