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2009年03月 の記事一覧

購書メモ・読書メモ 3

1 D.W.ハムリン『知覚の心理学 ゲシュタルト理論に関する哲学的検討』
2 ジョン・ディーリー『記号学の基礎理論』
3 パース『パース著作集 Peirce 1839-1914 2』
4 ジョン・タバク『はじめからの数学 5』

を購入した。

1は、アスペクト知覚と密接な関連があるゲシュタルト心理学について一般的な知識を得る目的で。いま1-2章と7章(最終章)および訳者あとがきを読んだところ。妙に理屈っぽくて、こなれてない訳文が魅力と言えば魅力かもしれない。これは若い人が訳したのだろうなあと思ったら、訳者は翻訳の時点で65歳。現在ご存命であれば84歳の大先生であった。副題に「哲学的検討」とある通り、抽象的な議論が本体で、いくぶんかは私の考えていることと重ならないでもないのだが、いかんせんゲシュタルト入門として適当だったかどうかは疑問。

2は、何だろう。記号学は敵なのか味方なのか。私にはかつて池上嘉彦の記号論関係の著作を読み進めようとして挫折した過去があるのだが、これは理解できなかったからではなかった。似たようなことを考えているのに、微妙なところがどうしても肌に合わなくて、かえって体が拒否反応を示したのである。トラウマの克服なるか。あるいは、更なる悪化を招くか。

3は、パースである。名前を見かける割りによく知らない人だ。きっと偉い人なのだが、何がどう偉かったのか。著作集1巻目が現象学、3巻目が形而上学だが、この2巻目は記号論関係の著作。
http://www.wind.sannet.ne.jp/masa-t/index.html
ここなんかでも、たくさん言及されている。パラパラめくった感じだと、読みこなすのは面倒臭そう。

4は、ネットの本屋さんの「本の内容」の項目に「自然法則とは何かを考える」とあったのに惹かれて買った。今回購入した中ではいちばん楽しめそうな本である。予想外のオマケは、第2章。アルキメデスに関する記述があったこと。アカデミックな興味ではないが、私はかなりのアルキメデスファンであると自負している。所持する関連本は10冊以上。mixiにアルキメデスのコミュニティーがないのを訝り、自分で立ち上げたくらいである。お勉強になっちゃ、つまらない。大いに楽しみたい。

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認知言語学をつくりなおすということ

 真善美などと言う。これまでの言語理論は、真理偏重だったと言えるのではないか。善について歯切れが悪いし、美についてはほとんど無視されているような気がする。たしかに、構造主義の言語理論や生成文法は、客観的で合理的な分析ができるので大成功した。でも、それは人間よりコンピュータの説明に適した理論だったのではないか。真偽のみを問題にするから、人間が矮小化される。もっと色々な面から考えよう。コンピュータにできない大切なことはたくさんある。

 そういう文脈だったのかどうだったのか。認知言語学の創成期。レイコフはアナロジーの分析で、伝統的な言語観に風穴を開けたらしい。しかしながら、レトリックは今のところまだ言語理論だとは思われていないはずである。言語理論然とした言語理論とレトリックは、出自も経歴も興味の対象も違っていた。

 おおまかに言えば、レトリックは、ことばのはたらきの分析として始まった(レトリック1.0)。それから数千年経ってことばのかたちを分析するものになった(レトリック2.0)。筆者はこのどちらも採らず、多義性の知覚という面からレトリックを捉え(レトリック3.0)、あわよくばそれを言語理論に鍛え直したいと思っている。

 多義性は主流の言語観から言えば、例外的で周縁的なものだった。多義性は、排除され隠蔽され、どうすれば一義化できるかということばかりが議論されるような、厄介な代物だった。それこそ主流が真理偏重だった証拠ではあるまいか。べつに真理が悪いわけではないが、芸術にしろ芸能にしろ、多義性を生産すること、あるいは一義性の衣服に隠された、深層の多義性を露見させることが、その仕事の大半であった。などと、そんなふうにすら言えてしまいそうな気がする。多義性の知覚は、日常に溢れている。そして、これこそが(今の)コンピュータにできないこと。それを象徴する資格があるものなのではないかと筆者は考えている。

 相対主義に堕するつもりはない。
 途中の議論は色々あるが、今描いているゴールはこんな感じ。

① 人間に対する誤解を解く → 認知科学の問題を変容させる。
② 旧レトリックの雑多な研究対象を統一的に扱えるようにする。

 所詮ホラ話かもしれないが、どうせなら大ボラの方が面白い。

購書メモ・読書メモ 2

1 戸田山和久/〔ほか〕編『心の科学と哲学 コネクショニズムの可能性』
2 イアン・ハッキング『言語はなぜ哲学の問題になるのか』
3 浜本 満 他『人類学のコモンセンス-文化人類学入門』

を購入した。

1 戸田山ファンなので。戸田山さんの書いているところ12頁しかなかったのは、残念だけど、他の項目にも、少しわくわくしている。

2 タイトルに惹かれて。日本語版への序文を読んで、序文を読んだところ(日本語版への序文は18頁あるのに、序文は1ページと短く存在に気付いていなかった)。まずは、哲学が言語に気付いた歴史を紐解いて、そのあとで「言語はなぜ哲学の問題になるのか」に対する仮説が述べられるらしい。文体はうねうねしているが、面白そう。日本語版への序文のラストは鳥肌が立った。

3 浜本ファンなので。教科書として編まれているためか、署名記事でないのが残念。
 http://members.jcom.home.ne.jp/mi-hamamoto/
 オフィシャルサイトの作業中/放置中の頁は、かつて貪るように読んだことがある。

人間は機械かもしれない、でも

 人間は機械かもしれない。それはそれでいい。でも、どんな機械なのか。そこら辺にある機械、私たちが仕組みを知っているような機械とは、仕組みの違う機械のはずだ。なぜならば、私達が知っている機械にはこれこれができないからである。

 私たちは、人間にはこれこれができると思っている。これこれには色々な種類がある。しかし、そのほとんどは機械にアスペクト知覚の能力というものを与えることができたなら、説明できるものなのではないか。問題をアスペクト知覚の能力に還元することで、人間と機械との橋渡しをする、あるいは人間と機械とを明確に区別する。そのあたりが本書の主目的である。
 
 さて、この、還元を行う過程で、言語理論に立ち入る必要が生じる。これまでの言語理論は、私達が仕組みを知っているような機械、たとえばコンピュータの説明には適していた。しかし、それは、アスペクト知覚の隠蔽ということの上に成立していたものだと考えることができる。アスペクト知覚を論じるには、新しい言語理論が必要だ。その母体となるものの候補がレトリックである。

 レトリック論で重要なのは、①文芸理論、②擬人法、③駄洒落である。
 ① 文芸理論
 創作、鑑賞、分析。旧レトリックの長所と短所を調べる。
 ② 擬人法の話
 主体客体は対象の性質ではなく、記述の問題。すなわち擬人法の結果である。
 ③ 駄洒落の話
 記号は駄洒落である。

 人間固有の特性と考えられていたこれとこれとこれは、①②③で説明できる。そして①②③はアスペクトである。そこを示せたなら、あとはアスペクト知覚のメカニズムを解明すればいい。それで人間がどんな機械なのか、あるいはどんな機械ではないのかということが明らかになる。

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ここまでこのブログで書いてきたことと重複が多いけれど、かなり話がすっきりしてきたのではないか。こんなのが書けたらいいなと思う。まだレトリック論の組み立てが甘いので、次はそこをうまく組織しよう。

大雑把なスケッチ

認知科学(にんちかがく、cognitive science)は、
情報処理の観点から知的システムと知能の性質を理解しようとする研究分野。
認知科学は以下に挙げる諸学問の学際領域である。
心理学、人工知能、言語学、人類学、神経科学、哲学。 -wikipediaより引用。

現在の認知科学に不満がある。機械論(物理主義)を悪だとは思わない。オカルトを主張するつもりもない。しかし、なお、人間が過小評価されていると思う。これは言語への誤解に起因するのではないか。

言語理論は、人間理解の一環として、言語現象の解明を目的とする。多くの言語理論は、論理学を見本とし、多義性を排除しようとしてきた。コンテキスト等の概念が導入され、一義性の王国は言葉の世界を征服しつつあった。しかし、その副作用として、人間の過小評価が起きている。

新しい言語理論が必要である。ここでレトリックをその母体となるものの候補として挙げたい。レトリックは、古来ことばの多義性(アスペクト)を扱っていたからである。しかし、簡単な考察で、古典レトリック(はたらきの分析とかたちの分析)は、客観性と合理性の要請を同時には満足できないことが分かる。新たな言語理論は、客観性と合理性を満足し、しかも、豊かな内容を持たなければならない。

そこで、人間に対して仮定する能力を「アスペクトの知覚能力」に局限した、レトリック3.0を提案する。アスペクトの知覚能力とは、たとえば「だまし絵」の見え方が変わるような現象の、背後にあると思われる能力である。これは古典レトリックと別の水準で、言語現象の解明を目的とする。

認知科学は、アスペクトの問題を軽視している。現在のコンピュータにはアスペクト知覚の模擬ができない。一方、アスペクト知覚は人間の認知活動において重要な地位を占める。アスペクト知覚のメカニズムを解明することは、認知科学の目標である、人間理解、人工知能開発に必要不可欠ではないかと考える。

たとえば、人工知能は、比喩やだまし絵が分かるようになる必要はない。それは別の能力がたくさん必要になるので難しいはずだ。本当の意味で駄洒落が理解できるロボットを作ること。予言めいたことを言えば、それが、人工知能のブレイクスルーになるはずである。

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……ああ、乱暴な話だなあ。どうして、首尾一貫させようとすると雑な書き方になるのだろう。

本を買ったので メモ

1 安部公房『内なる辺境』
2 ジャン=ジャック・ルセルクル『言葉の暴力「よけいなもの」の言語学』
3 シュボーン・ロバーツ『多面体と宇宙の謎に迫った幾何学者』
4 吉永良正『「複雑系」とは何か』
5 G・レイコフ/M・ジョンソン『レトリックと人生』

夕食前にパラパラと眺める。映画の予告編を見るようで、どきどきする。


1はファンなので購入した。安部公房のエッセイの文体はちっともさわやかじゃないんだけど、ひきこまれてしまう。

2はユリイカ巻末の広告で見つけて、これは! と思って。駄洒落や言葉遊びの考察で言語理論を再構築……というのは、私の思い描く本と、ほとんど同じ路線ではないか。でも、パラパラ眺めた限りでは、危惧した内容ではない。と、ほっとするのも変なのだけど、まだ、充分に私が本を書く意味はある。

3は前から気になっていた。折紙作家の前川淳さんがブログで感想を書いていたのを見て読みたくなった。とくに駄洒落とは関係ないと思うけど、でも、駄洒落と関係のないものなんて、いったいこの世にあるだろうか。とも思う。

4はファンなので。吉永良正さんはサイエンスライター。高校時代、講談社ブルーバックスで著作にのめりこんだ。大学で私は数学を専攻して、フラクタルの研究をすることになるのだけど、もうひとつ複雑系の話はよく理解していなかったと思う。最近また少し別の角度から興味が出てきた。そんなこんなで。

5は、タイトルで敬遠していた。ところが、wikipediaの認知言語学の項目で、著名な認知言語学者として筆頭に挙がっていたのが、G・レイコフ。まじめな本なのだと気付いて購入。今回買った本の中では、私の書きたいことにいちばん近い内容かもしれない。ゲシュタルトとか言ってるし。でも、この本の考察の中心はアナロジー(暗喩)なので、とりあえず、ひと安心。

さて、これらの本を腰を据えて読めるのは、いつかな。